オープンハウスは、社長を務める荒井正昭氏が1997年9月に東京都渋谷区で創業しました。
創業当時から2012年までの間、株式会社センチュリー21・ジャパンとのフランチャイズ契約を経て、自社ブランドを確立し、2013年には東証一部上場を果たしました。
2019年に売上5,000億円を達成、2021年には売上1兆円を明示するなど、オープンハウスの勢いは止まりません。
その躍進は国内にとどまらず、2008年からアメリカのカリフォルニア州や、中国の上海、2018年にはハワイにも進出しています。
2022年現在のオープンハウスは、1月に商号を株式会社オープンハウスグループに変更し、4月に東京証券取引所プライム市場へ移行しました。
「総合不動産会社日本一」を掲げる荒井正昭氏が率いるオープンハウスは、創業からどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
荒井正昭氏が社長を務めるオープンハウスの歴史を総まとめいたします。
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オープンハウス現社長が創業
オープンハウスは1997年9月に現社長である荒井正昭氏が創業しました。
まずは創業当時の1997年から2008年に業界を激震させたリーマンショックの回避劇までについて見てみましょう。
不動産仲介業から戸建て開発へ
オープンハウス社長の荒井正昭氏の前身は、不動産ビジネスの最前線で活躍するビジネスパーソンでした。
1997年9月にオープンハウスを創業した荒井正昭氏は“スタートアップ時には既存のフォーマットを活用する方が合理的”という判断から、創業時は、株式会社センチュリー21・ジャパンのフランチャイズに加入しています。
こうして、不動産仲介業者としてスタートしたオープンハウスですが「都心・駅近物件を低価格で入手したい」という顧客のニーズを見抜いていた荒井正昭氏は、都心部に木造3階建ての戸建てを提供するビジネスモデルを思いつき、オープンハウスは不動産仲介業者から戸建て開発の事業へと軸足をシフトしたのです。
業界にはなかった新しいカルチャーが醸成
荒井正昭氏の才覚のもとで業績を伸ばしていたオープンハウスは、2002年から新卒採用をスタートさせ、2006年には新卒入社社員数が中途採用数を上回っています。
会社のカルチャーにも変革が現れ、従来の不動産業界での働き方からは考えられない「チームで目標達成に取り組む」という全く新しいカルチャーが醸成しはじめました。
リーマンショックを無傷で乗り越えた”先見の明”
2008年には、後の「リーマンショック」と呼ばれる米国のサブプライムローンの破綻から発した不況の波が押し寄せていましたが、好景気で浮かれていた日本の不動産業界には危機感が全くありませんでした。
しかし、毎年米国へ視察に訪れていた荒井正昭氏は、米国の不況が日本にもやってくるといち早く危機を察知し、不動産の価値が暴落する前に在庫を売り切るという対策を講じたのです。
オープンハウスの動きは、当時の不動産業界では到底理解されない行動でしたが、すぐに訪れた不況の嵐により不動産業者が軒並み倒産する中で、オープンハウスは無傷で乗り切ることができました。
東証一部上場し新たな市場開拓を目指して米国へ
荒井正昭氏が社長を務めるオープンハウスは、2008年のリーマンショックを無傷で乗り越えるばかりか、ビジネスチャンスに変えて業績を伸ばしました。
ここから自社ブランドの確立、テレビCMスタート、そして東証一部上場、米国進出と一流企業の仲間入りを果たします。
オープンハウスが著しい成長を見せる2012年から2019年までの歴史をまとめました。
自社ブランドを確立しテレビCMスタート
オープンハウスは、2010年に丸の内ビルディングへ本社を移転しました。翌2011年には、戸建て関連事業や、マンション事業で培った情報収集力を活かすために、収益不動産事業をスタートさせ、事業の拡大を図りました。
そして2012年に、創業時より加盟してきた「株式会社センチュリー21・ジャパン」のフランチャイズ契約を解約し、自社ブランドの確立へと踏み切ったのです。
以後、驚異的なスピードでブランディング活動や、広告展開を開始し、あの有名なフレーズ「好立地、ぞくぞく」のスローガンとロゴを開発して、テレビCMをスタートさせました。独特のフレーズと人気俳優を起用したCMにより、オープンハウスの知名度は一気に高まりました。
丸の内に本社を移して東証一部に上場
オープンハウスは、創業からわずか16年で急成長を遂げ2013年に東証一部上場を果たします。
拡大しつづける事業はもちろんのこと、自社ブランドの確立、丸の内の本社ビル、テレビCM放映、そして東証一部上場と、名実ともに一流企業へと成長を遂げました。
2014年には新入社員の数も100人を突破し、より優秀な人材がオープンハウスの元へ集うようになったのです。
新たな市場開拓を目指して米国へ進出
2017年には、戸建て関連事業、マンション事業、収益不動産事業に続く”第4の柱”として、米国不動産事業をスタートさせました。
米国への進出は、国内不動産が将来頭打ちになることを見据えた上での判断であり、オープンハウスの次の成長への道を切り開く事となりました。
リーマンショック時に続き、またしても社長である荒井正昭氏の先見の明がオープンハウスにチャンスをもたらし、米国事業は成功をおさめたのです。
現在はオープンハウスグループに商号変更し持株会社体制へ移行
荒井正昭氏が社長を務めるオープンハウスは、2022年1月に純粋持ち株会社へと移行し「株式会社オープンハウスグループ」に商号を変更しました。
同年4月にはこれまでの東証一部から東証プライムへと移行をしています。東証プライムは審査が厳しくて有名ですが、審査を通過する実力がオープンハウスにはありました。
売上5,000億円達成や、プロバスケットボールチーム「群馬クレインサンダーズ」のスポンサーになった2019年から最新の2022年までの歴史をご覧ください。
売上5,000億円を達成!売上1兆円を目指す
オープンハウスは、2019年9月期に創業22年目にして売上5,000億円を突破しました。
そして、株式会社プレサンスコーポレーションの連結子会社化に伴い、2021年には売上高8,000億円を叩き出しています。
オープンハウスでは次なる目標として、2023年9月期に売上1兆円を目指すことを世の中に明示しています。
群馬クレインサンダーズのスポンサーになる
2019年にプロバスケットボールチームの「群馬クレインサンダーズ」を完全子会社化し、オープンハウスはスポンサー企業となりました。
群馬クレインサンダーズは、2021年Bリーグ史上最高となる33連勝を実現して、リーグ史上最速での優勝を決めました。そしてわずか2年でB1昇格を果たします。
群馬クレインサンダーズのB1昇格を機に、地方創生応援税制(企業版ふるさと納税)を活用して建設される「OTA ARINA」もオープンハウス社長の荒井正昭氏が手掛ける地方創生プロジェクトとして話題になりました。
オープンハウスグループへ名称変更し東証プライムへ上場
オープンハウスは、2022年1月に純粋持株会社へ移行し、社名を「株式会社オープンハウス」から「株式会社オープンハウスグループ」へと商号変更しました。
同年4月には、これまでの東京証券第一部からより審査の厳しい東京証券取引所プライム市場へと移行しています。
まとめ
荒井正昭氏が社長を務めるオープンハウスと言えば、テレビCMでもおなじみで、自社ブランドの確立した有名企業というイメージを持つ方も多いでしょう。
1997年に不動産仲介業者としてスタートしたオープンハウスは、都内に戸建てを持ちたい層のニーズを受け、戸建て事業者として、目覚ましい成長を遂げました。
幾度となく訪れる不況の波も、荒井正昭氏の先見の明で乗り越え、いまや、売上1兆円を目指す一流企業です。
東京証券取引所のプライム市場の仲間入りを果たしたオープンハウスですが「1兆円も単なる通過点にしか過ぎない」としています。
現状に満足することなく、総合不動産会社日本一という高みを目指す荒井正昭氏とオープンハウスのこれからの活躍に目が離せません。
オープンハウスを創業した現社長の荒井正昭氏については、以下の記事で詳しく紹介しています。